障害受容に関して有名な説である、「段階説」と「慢性的悲哀説」を挙げながら、障害受容に関する心理過程を考えます。
1. 障害受容
その障害を受け入れていくことを障害受容と言ったりします。
障害受容は本人だけの話ではなく、例えば障害を持ったお子さんの親など周囲の人間にも関係のある事柄です。
自分の子供に障害があった。親はその事実をどのように捉えるのか?
この過程には大きく2つの説があり、1つは障害受容においける段階説。そしてもう1つが慢性的悲哀説です。
当然ながら、物事の受け取り方というのは人それぞれであり、どれか1つの型に決めつけるのは良くないという結論に落ち着くわけです。
ただし、段階説と慢性的悲哀説、強いて挙げればどっちが多い?という2択になれば、慢性的悲哀説が支持されることが多いのも事実です。
2. 段階説
自分の子供に障害があった。そのことに対してはじめは悲しんだり悩んだりするけれど、紆余曲折しながら段階的に受け入れていけるというのが段階説です。
この「段階」というのが具体的にどのような過程をとるのかは諸説ありますが、最も有名なものの1つがDrotar氏らが述べたものです。
つまり、人は障害受容において「ショック」→「否認」→「悲しみと怒り」→「適応」→「再起」という5段階の過程をとるのではという説です。
これを障害をもったお子さんの親に当てはめると、
・自分の子供に障害があることにショックを受ける
↓
・診断ミスではないかと否定したくなる
↓
・悲しみや、これは誰のせいなんだといった怒り
↓
・子供の障害を受け入れていく
↓
・障害を持つわが子にしてやれることは何かと前向きに考える
といった感じです。
もちろん万人がこの過程をたどるわけではないでしょうし、これらに要する期間も人それぞれです。
3. 慢性的悲哀説
過程は大変だけれどいずれは必ず受け入れることができるという段階説に対して、「親の悩みや悲しみは子供が生きている限り一生続き、終わりはない」とするのが慢性的悲哀説です。
なかなかネガティブな説ですね。
慢性的悲哀説を支持する看護教育者であるYoung氏は、
障害のある子を持つ親の悲しみは子供が生きている限り一生続き、子供が死ぬときに急激な悲しみが襲い、そして慢性的な悲しみが終わりを告げるとしています。
もうなんか、超ネガティブですね。
でも、ここで重要なのが、綺麗事の話ではなくて実際のところ障害受容とはどのようなものなのか。
そういう観点で考えると、慢性的悲哀説も案外間違いではない気がしてきます。
4. まとめ
1980年代になるとWikler氏らは、障害児の親が経験するのは段階的な悲しみなのかそれとも慢性的な悲哀なのかを探るために、障害児の親と専門家(ソーシャルワーカー)の両方に質問紙調査を行いました。
比較分析の結果、4分の3の親が慢性的な悲しみを経験すると答え、専門家も同様でした。
Wikler氏らの調査結果では、慢性的悲哀説が支持されたわけです。
しかし、冒頭でも述べたように人の感情とは簡単に言い表わせるものではありません。
段階説と慢性的悲哀説を混ぜ込んだ螺旋形モデルなども専門家の間では述べられています。
5. その他の記事
6. 参考資料
『親が子供の障害を受容して行く過程に関する文献的検討』(J-STAGE)2018年6月3日検索
『親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀』(障害保健福祉研究情報システム(DINF))2018年6月3日検索
『軽度発達障害児をもつ親への支援』(流通科学大学)2018年6月9日検索