藤沢数希さんの著書、「ぼくは愛を証明しようと思う。」に「非モテコミットメント」という言葉が登場します。
非モテコミットメントとは簡単に言うと、
対象の異性に一途になり過ぎてしまい、
相手から「モテない人」と思われぞんざいに扱われてしまう状況のことです。
書籍での非モテコミットメントという言葉は男性の恋愛に関する言葉として使われていますが、概念自体は恋愛だけでなくコミュニケーション全般に通じるでしょう。
恋人にせよ友人にせよ、すごく自分が好きな人がいる。
その人に好かれたいから、好かれようと一生懸命になる。
その人の話は全て肯定するし、頼みごとは断らない。
相手の都合に合わせるし、時間も空けておく。
物やお金を貸すことをいとわず、むしろ力になれたことを嬉しく思う。
相手が望んだ通りに行動する。
コミットメントとは「ゆだねる」という意味です。
非モテコミットメントな状況とは人間関係における自分の言動や感情を相手にゆだねてしまっているのです。
なぜ非モテコミットしてしまうのでしょう?
それはコミュニケーションの未熟さが原因です。
非モテコミットメントとは未熟なコミュニケーション方法です。
自分に自信が持てていない。
人に好かれたと実感した経験が少ない。
自分と相手を対等に見れていない。
様々な弱気から、相手の言われたとおりにすることが、相手に好かれることだと思い込んでしまいます。
人は自分以外の人にモテている人を自分のものにしたいのです。
生き物としてこれはある意味当然の行為と言えます。
自分の遺伝子を残すならできるだけ有能な人をパートナーにしたいものです。
他人から求められる(モテる)というのは有能さの一つの指標です。
「モテない人が自分に言い寄ってくる」という状況では、相手のことを魅力的には見れません。
非モテコミットメントの状態は極端に相手に対して一途です。
一途なことは悪いことでしょうか?
悪いことではありません。
非モテコミットメントは、
相手と対等なコミュニケーションをとれていないことが問題なのです。
対等なコミュニケーションとは、タメ口で話すとかそういう表面的なことではありません。
対等なコミュニケーションとはお互いの意思を尊重し合える関係を築くことです。
生まれも育ちも違う人間同士なのですから、意見が食い違うことはあります。
そういうときに、自分の気持ちを言えること。
互いの気持ちを話しても、関係が維持できること。
「これを言ったら嫌われるかも」といつまでたっても腹を割った話をできない関係は対等な関係とは言えません。
非モテコミットメントで人間関係を築いていても、それは本当のコミュニケーションとは言えません。
対等なコミュニケーションをとりましょう。
もしもそれであなたから人が離れてしまったら、その人はその程度の人間だということです。
あるいはあなた自身のコミュニケーションスキルを磨く必要があるということです。
自分のコミュニケーションスキルの未熟さを、非モテコミットメントという手法で補おうとしても本質的には人間関係は向上しません。
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