空気が読めなかったりコミュニケーションが苦手だと、
「自分には常識がない」と思ってしまうことがあります。
「自分に常識がない」と思うと、それがいつしか
「周りと比べて自分だけがずれている」と思ってしまいます。
人と違っていい、別に常識なんていらない。
そうふっきれたらいいですが、
できれば空気を読めるようになりたい。
人と上手くコミュニケーションをとりたい
と思うのも人間の素直な気持ちでしょう。
「空気を読めるようになりたい」と思うのに、
「自分には常識がない」と感じると人は自分に自信が持てなくなります。
空気を読めるようになりたいのに、
日々の生活の中で自分の常識のなさを感じてしまう。
自分の常識がないと思うと途端に不安になります。
周りの人は自分が感じることができない何かを察知できて、
自分にはわからない気づきがあり、
自分にはとれない行動をとれる。
そのような人達で社会ができている。
そう思うと不安になります。
自分はずれているのではないか。
「普通」ではないのか。
自分の人に対する思いやりは的外れなのか。
無自覚に失礼なことをしているのか。
そう考えると、自分の行動に自信が持てなくなります。
けれど忘れてはいけないことがあります。
常識とは一定不変ではないということです。
状況によって変わります。属する集団によって変わります。
あなたの目の前にある常識は、世界共通のことわりではなく誰かの主観です。
もしかしたら、ずれているのはあなたではなく相手かもしれないのです。
あなたにあなたの考えがあるように、相手にも相手の考えがあります。
人の数だけ常識があります。
それらはどれが正しいというわけではありません。
しかし、声が大きい人の意見や数が多い意見がその場の常識を作ることも事実です。
もしもあなたが、いま所属している集団で苦しいなら、集団を変えてみることも大切です。
なぜなら人の数だけ常識があるからです。
あなたが生きやすい常識を持つ集団もどこかに存在するかもしれません。
人は自分がいま所属している集団を世の中全体と思いがちです。
しかし集団はあくまで集団。
たくさんある集団の一つにすぎません。
川は流れが止まれば淀みます。
美しい池がある一方で、絶えず流れ美しさを保つ川もあります。
一つの集団に留まることが必ずしも美徳であるとは限りません。
あなたがあなたらしくいれる場所を探すことも大切です。
そしてそれは悪いことではないと自分に許可を出せることが大切です。