「常識」という言葉を聞いてあなたはどんなイメージを持つでしょう?
なんだか堅苦しいイメージを持つ人が多いのではないのでしょうか。
できれば窮屈な思いをせずに生きたいものです。
しかし一方で常識がない人がいて苦労した経験がある人もいるのではないでしょうか。
私達は「常識」というものとどのように付き合っていけばいいのでしょう?
常識を考える上でまず挙がるのが
「常識は守るべきか守らぬべきか議論」です。
常識は必ず守るに値するのでしょうか?
常識にとらわれず自由に生きるべきなのでしょうか?
0か100かの答えは出ないでしょうが、
私達は常識をどのくらい重視して生きていくべきなのでしょう?
まず原則として、常識を破ると必ず批判があります。
なぜなら常識とは少なくとも一人以上の人間が当たり前に思っていることだからです。
他人が当たり前に思っていることに異を唱えるわけですから、必ず一人以上の人間にあなたは非難されます。
「常識は守るべきか守らぬべきか議論」の答えは、
その常識は批判を受けででも破るべきかどうかという点にかかってきます。
常識を破ることのメリットと破ったことで受ける批判というデメリットのバランスを考えることになります。
常識のメリット・デメリットを考えるためには常識自体を知らなくてはいけません。
常識を知らなくて破るよりは、
常識を知った上で守るか破るかの選択をできたほうが理想的です。
あなたが常識を仮に嫌いだったとしても、
常識を知るということは損にはなりません。
常識を知ればそれを守るか破るかの選択ができるからです。
常識とは「わざわざ確認しなくてもその集団の誰もが知っていること」と考えることができます。
常識にはいくつかの種類があります。
一つは「思いやり」。
きつそうにしている人には電車の席を譲ってあげましょうという類いです。
もう一つは「慣習」。
夏の暑い日であっても、ビジネスシーンではネクタイを締めるなどです。
(最近はクールビズもあり緩和されていますが)
常識には意味のあるものもあれば意味のないものもあります。
合理的なものもあれば非効率的なものもあります。
常識には合理的なものもあれば非合理的なものもあります。
常識を守ることで効率よく行動できる場合もれば非効率になってしまう場合もあります。
なぜなら常識は
「いろいろ試した結果これが一番無難だよね」という含蓄があるものもあれば、
「なんとなく昔からそうだから改善せずそのまま」という形骸化された習慣もあるからです。
そのため、常識を安易に否定しても結局は最適解がその常識であったりします。
一方で常識を盲目に信じていてはただただ無駄に人生を消費するだけになることもあります。
大切なのはその常識のルーツを見極めることかもしれません。
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