特別支援学校や療育施設において、IT機器を使った支援という選択肢がしばしば挙がります。
脳性麻痺などにより知的障害や重度の身体障害を呈する場合、
つまり「重症心身障害」の場合コミュニケーションの支援の方法としてIT機器の活用という選択肢は重要になってきます。
さて、使い方によっては非常に便利なIT機器ですが、そのぶん誘惑も多いものです。
はじめはタブレットで文字の勉強をするつもりが、いつのまにかYouTubeで動画を見るだけの道具になってしまったなんてことも。
重症心身障害児者や肢体不自由児者にとってIT機器は自分のできることを増やせる大切なツールです。
しかしその一方で、
支援者がIT機器の使い方をきちんとマネジメントしないとただの娯楽の道具になってしまいます。
タブレットにせよパソコンにせよ、気を付けないといけないのが、
機器がただの娯楽の道具にとどまらないようにするということです。
タブレットやパソコンで「YouTubeを見て楽しい」といった行為も否定はしません。
でもそれでその人の人生はそこから何か広がるでしょうか?
人にはいろいろな人生の楽しみ方があります。
動画を見て楽しい。
ゲームをして楽しい。
楽しみの形は人それぞれです。
でも人は、何かを作りだしたり自分の能力が上達することで楽しみを見出すこともできます。
話すことはできないけど、パソコンで文字を打ってコミュニケーションをするのが楽しい。
歩くことはできないけれど、電動車椅子で移動してスマホで風景の写真を撮って楽しい。
手が不自由で筆は持てないけれど、タブレットで絵を描くのは楽しい。
「動画を見て楽しい」「ゲームをして楽しい」というのは目の前にある娯楽を消費することで得られる楽しみです。
消費することで得られる楽しみというのは、常に消費の対象になるものが提供されないと幸せを感じることができません。
つまり他人から何かを与えられないと幸せを感じることができないのです。
一方で、「文字を打つ」「写真を撮る」「絵を描く」といった類いの楽しみは何かを作りだす楽しみです。
何かを作り出せることを獲得し、それに楽しさを見いだせる人は、自分で「楽しさ」や「幸せ」を作りだすことができます。
よくある例え話で、「魚をあげたらその人は1日しか食事を摂れないけれど、魚釣りの仕方を教えてあげればその人は一生自分でご飯を食べていける」という話があります。
人に何かを支援するなら、物ではなくその考え方や方法論を提供しましょうという話です。
重症心身障害児者に対する支援も、同じことが言えるのではないかと思います。
関連記事:重症心身障害児者がたった1スイッチでメールを楽しむ方法