ICT教育

プログラミング教育の必修化は実際どうなのだろう?

公開日:2019年12月19日


 
 

プログラミング教育必修化は実際のところどうなるだろう

2020年よりプログラミング教育が必修化し、本格的にプログラミングに関連した学習が学校で始まります。

実際のところどうなのでしょう?

個人的には、
プログラミングに関する考え方や単語などについてなんとなく共通認識は持てるのでしょうが、「プログラミングができる人」がすごく増えるのかと言えばそうではないのかなと。

ちょうど学校で英語は習いますが、外国で英語を話せる人は少ないのと似たような状況になるのではと思います。

 
 
 

プログラミング教育の実際

文部科学省のプログラミング教育に関するページを見ると、

小学校ではプログラミング言語を実際に触ってプログラミングするわけではなく、プログラミングに際しての論理的な考え方自体の学習に力点をおいているのがわかります。

小学校の頃はローマ字やアルファベットの入力すらあやしいので、妥当と言えば妥当ですね。

つまり、プログラミングに関する具体的なスキルを身に着けると言うよりは、その受け入れをスムーズにする土台作りを行うわけですね。

「なんのプログラミング言語を使ってプログラミングするか」というのは時代によって変わります。

そのため、学校で固定のプログラミング言語を教えるよりは、プログラミングに必要な思考やプログラミングに興味を持つことを促すカリキュラムは良いことだと感じます。

論理的な思考能力というのはいろんな場面で活用できますし。

 
 
 

「なる」より「やる」

その一方で、プログラミング教育を受けた子達が、プログラミングで何か物を作る「スキル」を身に着けることができるかと言えば難しいでしょう。

たぶん、英語と一緒で、大部分が「習った知識」として知ってはいるけど話せないし普段活用できないという状態になるのではと思います。

著名人がよく言う表現ですが、
何かを達成するなら「なる」より「やる」ことのほうが大切です。

「野球選手になるにはどうしたらいいだろう」とあれこれ悩んで何もしないより、バットを振ることが好きで毎日やっても飽きない、つまり野球を「やる」人のほうが上達するでしょう。

サッカー選手に「なる」のではなくまずはサッカーを「やってみる」。

小説家に「なりたい」ではなく、まずは小説を一本「書いてみる」。

英語を「話したい」ではなくまずは英語で1日「話してみる」。

なれるかどうかは、やってみたあとにわかることです。

プログラミングにもおそらく同じことが言えるのではないのでしょうか。

つまり、
「プログラミングをできるようになる教育」では実際のプログラムを作ることはできず、一部の興味のある子供がプログラムを自分の家や自分の時間で「やってみる」ことでできるようになる。ということです。

 
 
 

おわりに

プログラミング教育の必修化により、ITの重要性や論理的思考能力の大切さを共通認識できる機会は増えそうです。

それは良いことだと思います。

実際、今の時代はグーグルやアップルなど世界で活躍できる大きな会社は必ずITが絡んでいるので。

一方で、プログラミングが「できる」子が増えるかといえばなんとも言えないのではと思います。

たぶん今までと一緒で、「興味のある子はするし、興味のない子はできないまま」という状態なのかなと思います。

 
 
 

参考資料

『プログラミング教育』(文部科学省)2019年12月12日検索

-ICT教育

テキストのコピーはできません。