あれは確か中学生の頃でした。
クラスにちょっとマイペースな子がいました。
とは言っても「マイペース」という言葉が適切かというと微妙なところでした。
マイペースというとおっとりしたイメージがありますが、その子はどちらかというと弁が立つし頭の回転が速い子でした。
でも時折「天然ちゃん」のような発言もあります。
勉強はできるほうでテストの成績は良かったです。
委員会活動も真面目に取り組んでいました。
基本的には親切で、人の悪口も言わない子でした。
その一方でデリカシーに欠けるところがあり、それが人を傷つけてしまうきっかけになることもありました。
部活の球拾い
球技の部活に所属すると必ずと言っていいほどすることになる「球拾い」。
その子が所属した部活も球技でした。
1年生の頃やレギュラーでなかったりすると、
プレーする時間より球拾いや人のプレーを見る時間のほうが長いものです。
入部したばかりの頃でした。
1年生達が球拾いをする中、その子は球をまったく拾っていませんでした。
プレーしている人達をぼーっと見た後、その場で動きを真似ながらフォームをチェックしていました。
「ボール拾わなきゃいけないよ」
私が小声でそう言いました。
「えっ、ああ、そっか」
その子は少し戸惑った後に周りを見てボールを拾い始めました。
悪気のないその子
その子は「さぼりたい」「面倒くさい」という気持ちで球拾いをしなかったわけではありません。
たぶんその子は球拾いをしないことに悪気はなかったのです。
ただ単に「こういうときは球を拾うものなんだ」ということを知らなかったのです。
暗黙のルール
私が球を拾うことを伝えた後は、その子が球を拾わないことはなくなりました。
自分から球を拾いに行くようになりました。
考えてみたら、その子がその場から動かず自分のフォームをチェックしているとき、その子の近くにはボールは落ちていませんでした。
今になって考えると、あの子は部活における2つの暗黙のルールをわかっていませんでした。
一つは自分がプレイしていないときはボールを拾いに行くこと。
そしてもう一つはどこまでのボールを自分が拾うべきかは状況により変わるということです。
どうすべきかわかない
その子はボールをどのタイミングで拾いに行けばいいかわかっていませんでした。
「片づけ」「球拾い」などキャプテンが部員に一斉に言葉で指示をするときはその通りにしていました。
しかしその合間のあえて言われないときに自分からうまく動くことができていませんでした。
また、どこのボールを拾えばいいかがいまひとつわかっていませんでした。
球拾いには多少距離があっても拾いにいった方がいい場所があります。
その一方で、近くではあるがもっと近い人がいるから拾わなくていい位置があります。
その塩梅というか程度というか、
そのあたりがわかっていませんでした。
言語化すること
その子が暗黙のルールやその塩梅をずっとわからなかったかというとそんなことはありません。
先ほど書いた通り、ボールを拾うことを指摘するとその子はそれ以降はちゃんと球拾いをするようになりました。
その子は部活動におけるソーシャルスキルを一つ身につけたのです。
アスペルガーなどの発達障害、コミュニケーションが苦手な人にとって、
ソーシャルスキルや暗黙のルールを言語化することはとても大切です。
当時中学生だったその子が発達障害やあるいはそのグレーゾーンだったのかは定かではありません。
しかし今になって思えば、その子は部活の暗黙のルールがわからず、悪気はないのにすべきことをできていない状況でした。
そして暗黙のルールを言語化した途端に行動が変わったのです。
ひやひや感
アスペルガーなどの発達障害、コミュニケーションが苦手な人のコミュニケーションは微妙にズレていることがあります。
この微妙なズレとは、「悪気はないけどわかっていない」ことに起因します。
「悪気はないけどわかっていない行動」は周囲に違和感を与えます。
ボールを拾わなかったその子に対して当時私が感じたのは球拾いをしないことに対する「怒り」ではありません。
みんながボールを拾って然るべき状況で、その子だけが拾っていないという状況の違和感でした。
その違和感とは周りが怒るんじゃないだろうか苦笑するんじゃないだろうかという「ひやひや感」。
その子自身に対してではなく、みんなが拾っているのに拾っていない人がいるという状況に対する「気持ち悪さ」。
そのような「痛い空気」を私は感じていました。
言語化と情報量
ソーシャルスキルを身につけることの一つは暗黙のルールを理解することです。
暗黙のルールを理解することが苦手な場合、どのようにそれを身につければいいでしょうか?
一つは情報量を増やすことです。
「こういうときはこう行動する」
「こういうときは人はこう感じる」
そういった実例や身近な人のアドバイスをできるだけたくさん自分の中に入れていきます。
そしてもう一つは言語化することです。
先ほど書いた通り、言われればわかることがあります。
できるだけ言語化して認識していくのです。
言語化するのは
人に言ってもらう場合と
自分で言葉にしてみる場合があります。
どちらも大切です。
コミュニケーションが苦手な人にとってはある意味、
世界は言葉でできています。
それも明言化された言葉でです。