「手をつないでゴール」は子供のため?
運動会の「手をつないでゴール」は子供の教育上、良い効果があるのでしょうか?
運動会のかけっこなどで、スタート時点は競争し、けれどゴールが近づくと手をつないで一緒にゴールをして順番を競わない「手をつないでゴール」。
安易に優劣を決めない。
協調性を持つ。
みんなで平等。
理由はいろいろありますが、
「それはやりすぎでは?」とか「いや、素晴らしい」とか親御さんの感想も様々ですね。
実際のところ、子供の教育上この「手をつないでゴール」は望ましいのでしょうか?
研究によると、
「手をつないでゴール」が当たり前になった子供はむしろ思いやりや親切心に欠ける子供に成長してしまう可能性があるようです。
以下、もう少し詳しく。
「平等性を重視した教育」って?
神戸大学の伊藤准教授らの研究によると、
手をつないでゴールなど「平等性を重視した教育」の影響を受けた子供は、親切心や思いやりの欠ける大人になってしまうことを指摘しています。
なぜなのでしょう?
「平等性を重視した教育」とは、「みんなが平等である」ということを前提に教育を行うことですね。
一見すると素晴らしく聞こえますが、言い方を変えれば、「人は生まれながらにみんな平等、能力に差なんてない」ということです。
こう考えると、私達大人は「う~ん・・・」となるのではないのでしょうか?
つまり、
「人は平等であってほしい」という理想がありながらも、現実は生まれや才能で決まってしまう差もあって、その葛藤の中で私達は生きているわけです。
そして子供達も学校や友達との競争や関わりの中でそれを学ぶわけですが、
「平等性を重視した教育」では過度にみんなが同じ、つまり「人と違うのはよくない」とか、「あなたが結果を出せないのが頑張ってないから」といった極論に陥る可能性があるわけですね。
優しいってどういうこと?
突然ですが、「優しい」ってどういうことでしょう。
考えは人それぞれですが、
たとえば「優しい」とは「互いの違いを認め合える」ということではないでしょうか。
私とあなたは違う人間で、どちらが正しい間違っているとかではなくて、ただ違っていてけれど同じように尊い存在である。
そう思えると、相手を、そして自分自身を大切にできるのではないでしょうか。
かけっこで1番になることは嬉しいし、最下位になったらやっぱり悔しいかもしれません。
けれど、それはただそうあるだけで、
かけっこの順位でその人達すべての価値が決まるわけではありません。
本来、子供達は、
競争や勝負を通して、そういう「その人自身の価値が、その場限りの競争の結果で決まるわけではない」という感覚を学ばないといけないのではないでしょうか。
まとめ
平等性を育みたいという背景から、かけっこで手をつないで一緒にゴールすることを指導する学校がありますね。
運動会の「手をつないでゴール」は子供の教育上、良い効果があるのでしょうか?
研究によると、
「手をつないでゴール」が当たり前になった子供はむしろ思いやりや親切心に欠ける子供に成長してしまう可能性があるようです。
「平等性を重視した教育」では過度にみんなが同じ、つまり「人と違うのはよくない」とか、「あなたが結果を出せないのが頑張ってないから」といった極論に陥る可能性があるからです。
本来人間は一人一人違う人間で、
かけっこが得意な人もいれば苦手な人もいます。
かけっこで1番になることは嬉しいし、
最下位になったらやっぱり悔しいかもしれません。
けれど、かけっこで速いから偉い、遅いからその人がダメというわけではありませんよね。
そういう、
勝負や競争を越えたところで互いを認め合える心の大きさのようなものを本来は育むべきなのかもしれません。
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