テレビ番組「バリバラ」のエピソードに関するツイートがちょっとにぎわってますね。
外部リンク:https://twitter.com/mirailist/status/919534336705097728
内容としては、会社で先輩から「湯飲みがたまってるね」と何度か言われ、それが「湯飲みを洗っておいて」という意味だったと理解できなかった新入社員の女性。その後その女性は職場からなんとなく距離をとられる存在になってしまいましたとさ。というお話。
「私も意図の汲み取りが苦手」というリツイートや、「この上司は察してほしいばかりで具体的な指示がなくダメ」といった批判などがあるようです。
日本語というのは遠回しの表現が得意な言語です。
様々な比喩があったり、
「今日は仕事で遅くな・・・」
「る」「らない」で全然意味が異なるように
結論が最後までわからなかったり。
良く言えば表現の幅があり、悪く言えばわかりにくい。それが日本語です。
日本は場の空気を重んじるお国柄と言われたりします。
空気を読むとは言葉にされていない意図や雰囲気を察するということです。
日本人が空気を重視する傾向は遠回し表現が得意な日本語という特性と密接に関わっていると考えられます。
遠回しの表現や一般に言う「オブラートに包んだ表現」というのは場合によっては便利です。
・物事を明確に伝える
・物事を伝えない
といった2種類の選択肢に、
「物事を伝えたいけれどはっきりしすぎたくはない」
という第3の選択肢を与えてくれます。
白と黒という2色だけでなく、その間のいろいろなグラデーションを表現できる。
遠回しの表現というものは、お互いが言葉の裏にある意図を共有できていれば非常に便利です。
そういう意味では日本の言葉や(空気を重んじる)文化というのは、意図を共有できている関係性の中でなら非常に有能な言葉と文化と言えます。
遠回しの表現というのは、互いが意図を共有できていれば非常に便利な言葉です。
しかし、これはあくまで「意図が共有できていれば」という前提での話。
意図が共有できていないのに遠回しの表現を使っては互いが損をするだけ。
今回の湯飲みのお話に関しては、
意図が理解できなかった社員さんだけに責任があるのではなく、
「湯飲みがたまってるね」という遠回し表現が誰にでも通じると思いこんでいる先輩社員にも責任があるのではないでしょうか。
大切なのは、互いが何を共有できて共有できていないのかを理解することです。
共有できていることに関しては、遠回しの表現や略された表現、その場でしか伝わらない表現でコミュンケーションを深めればいいです。
しかし共有できていないことは明確に自分の意図を伝えるべきです。
そう考えると、
どのような伝え方が重要なのかではなくて、
相手と何を共有できているかという土台が大切な気がします。
ということで、
相手に「この表現が伝わるか伝わらないか」を考えることって大切ですよねっていうお話でした。
まあ、それはそれとして、
湯飲みを洗うことを指示するのってそもそもパワハラに近い気がしてどうなのかなあと思う今日この頃です。
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