インターネットはたくさんの情報を瞬時に得ることができます。
一説では、一昔前の人達が一生かけて得た情報量を今の私達は一日で得ることができると言われています。
パソコンやスマホを使えること、インターネットを上手く活用できること。
これらにより情報を効率的に得ることができます。
つまりパソコンやスマホを使いこなせることやインターネットの知識があるということは、情報技術があるということです。
デジタル・デバイド(digital divide)とは情報技術を使いこなせる人とそうでない人との間に生じる格差のことです。
友達とランチをしようと思った時、インターネットで少し調べればおいしいお店の候補がすぐに絞れます。
冠婚葬祭のマナーを知らなくても、前日にネットで調べばそれなりに常識ある行動がとれます。
テレビで大々的に宣伝されている健康商品も、ネットで口コミを見ればそれほど効果がないことがわかります。
いろんなことを昔より簡単に知ることができるようになりました。
情報があることで私達は昔より選択肢を広げたり逆に無駄な選択肢を削ることができるようになりました。
一方で、それは情報がない人がおいてけぼりになってしまう側面もあります。
情報というのは積み重なっていきます。
ある情報をベースに別の情報が入ってきます。
情報がない人は雪だるま式に「知らないこと」が増えていきます。
デジタルデバイドとは情報技術に差によって生まれる格差のことです。
情報技術の差によって生まれる格差は一つではなく様々です。
情報技術の差によりはじめに「情報格差」が生まれます。
おいしいお店や便利なサービス。一般常識や世の中の出来事。
これら情報量に差がでてきます。
情報技術の差はコミュニケーションの格差も生みます。
例えばLineをしている人にとって、メールしかしてない人と連絡を取ることは面倒に感じます。
最終的にはその人の人間的魅力が肝心ですが、連絡を取りやすいか取りにくいかは友人関係や仕事関係に少なからず影響するでしょう。
また、多様な価値観の現代ですが、やはり趣味や嗜好が一緒だと人はうれしいものです。
自分に合った社会人サークルを見つけたい。
共通の趣味を持った人と話したい。
価値観が似ている恋人を探したい。
インターネットは人と人を結び付ける側面があります。
もちろん安易な出会いは気をつけるべきですが、正しく使えばインターネットは自分が一生会えないような人と会うチャンスをくれます。
情報技術に優れていると、コミュニケーションの面においてもチャンスに恵まれるのです。
人は目の前の人の言うことを信じやすいものです。
しかし人が言うことというのは自分の経験や主観によるものが多かったりします。
情報技術がある人は、人の話を聴きつつそれが客観的に正しいかどうかを判断できます。
一方、情報技術がない人は目の前の人が言っていることがその人の主観なのか本当に正しいことなのか判断できません。
そうやって「~はこうあるべきだ」「~は絶対正しい」という偏った知識になります。
論理的な思考をするためには客観的な情報が必要不可欠です。
これら様々な要因が重なり、最終的にその人自身のスキルや人生の選択に影響が出てきます。
それらは所得という格差を作っていってしまいます。
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