男女の関係だけでなく、
あらゆる人間関係は距離感で違ってきます。
良好な人間関係を築くことは、良好な距離感をとることでもあります。
川北義則氏の「人との距離感がわかる人、わかっていない人」を参考に、人間関係の距離感について考えます。
今日は人を変えることについて。
人が人を変えようと思って変えることはできない
人は環境に左右される生き物なので、いつまでも同じとは限りません。
時間が経つ中で、底意地の悪い人間になってしまうこともあります。
変わってしまった人を「元に戻そう」とは思わないことです。
「しばらく距離をおけば、きっとまた以前のような人に戻ってくれる」とも思わない方が無難です。
人は変わりますが、他人が人を変えようと思って変えることはできません。
状況によっては、
スパッと関係を断ち切る勇気が必要なときもあります。
首を突っ込まず、互いの心地良い距離感で過ごす
同様に、評判が悪い人を「改善させよう」と意気込む必要もないでしょう。
評判の悪い人にはそれなりの理由があって、それをむやみにかき回す必要はありません。
少し距離をとって、落ちついて状況を見ればいいのです。
お人好しというのはある意味、寂しがり屋です。
他人に好かれようと、他人のトラブルを背負いこもうとします。
「困っている人を助ける」と「なんでも首を突っ込む」は似ているようで違うのです。
互いに気楽な距離感を保つ
「いい人」でいようとすることは悪いことではありません。
けれど、よく考えもせずに「いい人」でいようとすると場合によっては迷惑になることもあります。
遊びに行くにしても、食事に行くにしても、
「なんでもいいよ」
と言う人は多いです。
その人からしたら、相手に合わせているつもりでしょうが、決める方はそれはそれでめんどくさかったりするのものです。
「自由に思ったことを言ったりしてくれるほうがこっちも気が楽」と思う人は多いです。
何でも人に合わせてくれる人といると、何でもこっちが決めないといけなので疲れます。
「いい人」は一歩間違えば、「面倒くさい人」になってしまうのです。
似たような話で、
親切というのも気楽にやったほうがいいです。
恩着せがましいと人は離れます。
「親切にしたことを忘れてしまう」くらいの気楽さでちょうどいいのです。
おわりに
人と人は対等です。
対等な人間関係は気楽です。
「~してあげる」という発想は親切にもとれますが、相手を下に見ているともとれます。
相手を変えようとしたり、改善させようとしたりすることにこだわる必要はありません。
自分と相手がいて、そこに関係性が発生する。
その関係性の中で心地良い距離感を築いていきます。
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参考資料
川北義則『人との距離感がわかる人、わかっていない人』三笠書房、2015年