答えではなく共感する
「答えを求めているんじゃなくて、共感してほしい」なんて話はよく聞きますね。
会話において、相手の質問にただ答えるのではなく共感を示すことが大切です。
これについて、書籍「ひとの気持ちが聴こえたら」に興味深い例があります。
詳しくは以前の記事で書きましたが、
この本は主人公がTMSという治療でコミュニケーション障害を治療する実話です。
そしてこの本の中に、主人公が治療を受けることで共感を示す会話をできるようになったシーンがあります。
人と共感する会話
以下は、主人公が営む車の修理工場に、お客さんが来たときの話です。
不具合を起こした車の症状を冷静に話す、彼女の目が語っていた。
修理にいくらかかるのか、それがとにかく心配で。仕事が不安定だから、修理費をまかなえるかどうか。でも仕事に行くには車が必要なんです。どんなぐあいでしょうか?
私は彼女を安心させようと、即座に答えた。
「心配いりません」私は彼女に言った。「お話をうかがったかぎりでは、ほんの少し修理すれば大丈夫だと思われます」
たちまち彼女の表情がやわらいだ。(中略)
数日まえなら、彼女の話にこう応じただろう。
「はっ!車を持ってきて、どこがどうなっているか確認しなければ」
彼女の恐れや不安は、私の心にまったく届かなかっただろう。だから当然、彼女を安心させようなんて思いもしなかったはずだ。ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記より引用
人の気持ちを汲むということ
この話の場合、
お客さんは車の調子を聞きながらも、その背景には車が故障したことによる生活の不安があったわけです。
つまりお客さんは車がどう故障しているかではなく、仕事が滞りなくこれからも行えるか、経済的な不安はどうなのかといったことがむしろ気になっていたわけです。
共感に気づけたロビンソン氏は、車のことよりも女性の心に着目した言葉をかけます。「大丈夫です」と。
ここでもし車の仕組みや故障の仕組みを話していたら、修理工場を運営し車に興味があるロビンソン氏は楽しいかもしれませんが、お客さんにしたらどうでもいいことです。
このときお客さんが知りたい答えは、「車の故障原因」ではなく「私の生活は滞りなく進むのか」ということです。
そしてお客さんが求めている答えは、車の故障とそれに伴う費用といった事実ではなく、「いろいろあるけれど、とにかく大丈夫です」というお墨付きの安心感なのです。
おわりに
人との会話においては、
理屈による答えを導き出せる整然さではなく、右往左往する感情を共に共感できる思いやりが大切です。
ただ答えを言われても、「そういうことじゃなくて」と内心思われます。
相手がどんな気持ちなのか。「怒り」なのか「不安」なのか「喜び」なのか「迷い」なのか。
そういった感情を察し、共感し同じ方向を向いた上ではじめて会話が始まるのです。
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