発達障害

発達障害児に療育は必要ないと、強がらなくてもいいのでは。

公開日:2020年5月26日


 
 

発達障害児に療育は必要ない?

発達障害というものは
「治療」をして「治る」というものではありません。

また発達障害の特性はお子さんによって千差万別です。

そういった背景の中で、
療育の「意義」や「効果」を見極めるのは確かに難しいものです。

発達障害の状況は人によって違うので、
単純に誰かと比べることができないからです。

しかしながら、
たまたま
「その子」の
「その時期」に
「そのセラピスト」の
「その療育」が
「合わないように見えた」
からと言って、

「発達障害児に療育は必要ない」とバッサリ決めるのはやや事を急いでいる印象を受けます。

 
 
 

療育にも相性がある

正直なところ、
「発達障害児」と療育を行う「セラピスト」の相性ってあります。

それは単純にセラピストの腕とか技術だけの話ではなくて、

人と人が関わる上で単純に相性ってありますよね。

療育でもやっぱり現実問題として相性があって、

たまたまその療育がその子に合わないということはあります。

そしてそれと同じくらい、

時間をおいてみると同じ療育でもうまくいったり、
同じ療育でも人が変わるとうまくいったり、
何かのはずみで療育の様子がガラリと変わることはあります。

まさに一期一会といったところでしょうか。

だから、

1回の療育やある時期の療育だけで、
他のお子さんも含めた「全ての療育」を判断する必要はないと思います。

お子さんが受けた療育がお子さんに合えばそれは素敵なことです。

一方で、お子さんに療育が合っていないと思ったら無理に続ける必要はありません。

けれど、一時期の療育が合わなくても、
時間が経てば・人が変わればまた違った結果を生む可能性もあります。

広い視野で療育を見ることが大切です。

平凡な言い方になりますが、
お子さんに療育が合うときもあるし合わないときもあるのです。

 
 
 

療育の厳しさと楽しさ

療育において、子供が泣いてしまうことは少なくありません。

療育は学びの場でもありますから、
子供に頑張ってもらう場面もあるでしょう。

一方で、
やはり辛いだけの療育は見ていて親も辛いものです。

できればニコニコ楽しく通ってくれたら、親も嬉しいものです。

この「厳しさ」と「楽しさ」のバランスは難しいものです。

厳しいだけの療育も、
楽しいだけの療育も、
やはり極端で、
大切なのはバランスでしょう。

「療育は楽しくある」べきか、
「療育は楽しさの中にも子供を成長させる厳しさがある」べきか。

これは難しい問題です。

けれど、少なくとも言えるのは、

どんな楽しさを求め、
どんな厳しさを求めるかは
親御さんによって異なるという点でしょう。

大切なのは、
厳しさと楽しさの塩梅(あんばい)を、
保護者とセラピストが共有できていることでしょう。

どのくらいは厳しく指導し、
どのくらいは楽しく過ごすのか。

この感覚が
保護者とセラピストで一致していれば、
療育に不満は出にくいのではないでしょうか。

療育の厳しさと楽しさを保護者とセラピストで話し合える環境が大切です。

 
 
 

おわりに

発達障害の支援を行う人もいろいろいて、
中にはトンチンカンなことを言う人もいます。

まあ、どこの業界もそうですよね。

「自分の子供に療育が合わない」ということはあります。

大切な子供の療育だから、
その療育が合わないと、
「療育って意味ないじゃん」
と思いたくなるものです。

けれど、
「今回は合わなかった」くらいに思う方がバランスの取れた考え方だと思います。

できるだけ肩の力を抜くといったところでしょうか。

そのくらいのほうが、
子供も親も双方にストレスを溜めずに済むでしょう。

 
 
 

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