療育に行くことは意味がないのか?
療育に行くことは意味がないのでしょうか?
こういった議論は人によって様々な考え方があり、また人によって状況も異なるため1つの答えに絞れるものでもありません。
あくまで考え方の1つとしてですが、
療育に通うことは有意義なことだと思います。
障害を持ったお子さんの能力的な成長だけでなく、
専門家や療育機関とつながり持つことが、人生のいろんな場面で役に立つこともあります。
療育の意義
療育に通う意義とはなんなのでしょう?
一番はじめに思いつくのが、その子の発達を促すことです。
当然と言えば当然ですね。
つまり、言葉の発達や運動の発達を専門家にみてもらい、訓練してもらい、成長を促す。
療育に通うことで、子供の発達が促されればそれは喜ばしいことです。
しかしながら、「障害」は「病気」ではありません。
どこかのタイミングで急に「治る」というものではありません。
障害は治すものではなくて、うまく付き合っていくものであることはよく言われます。
このように考えると、たとえ療育に通っても解決しない問題というものもあるのかもしれません。
では、やはり療育は意味がないのでしょうか?
勉強以外の意義
教育学の一説によると、
学校で勉強をすることは、学力以上に、社会性やコミュニケーション能力の面で重要で、むしろ大人になるとそういった力が財産になることは珍しくないそうです。
これは想像に難くないですね。
つまり、勉強をする過程で勉強以外のことを学んでいるわけです。
こういった教育的意図を、「二重意図教育」と言ったりします。
療育にも同じことが言えるのではないでしょうか。
療育は発達を促す場ではありますが、同時にその子の個性を理解してもらい、その上で人と関われる場所でもあります。
そういった環境でできる経験は、お子さんにとって学校とはまた違った経験でもあるでしょう。
おわりに
「療育に通うことに意味があるのか?」と言えば、その答えは十人十色でしょう。
療育に通うか通わないかはその家庭の自由です。
1つの考え方としては、「障害」というのは治るものではなくうまく付き合っていくものです。
「障害」と付き合っていく上では、人生のいろんな局面で悩んだり考えたりすることもあるでしょう。
そういうときに、たとえ一時期でも療育に通っていれば、相談できる場所があります。
人生のその時その時で相談できる場所があるというのはお子さんの人生にとって大切な財産です。
また、何か悩みがあったときに専門家や療育機関とつながりを持つことは、親御さんのストレス軽減にもつながります。