一生誰とも関わらないという人は少なくて、
多かれ少なかれ誰もが他人と関わりを持ちながら生きています。
コミュ症の人が人間関係を良好に楽しく生きていくためにはどうしたらいいでしょう?
今日はコミュ症の処世術について考えます。
「可愛く生きる」とは外見のことではありません。
愛嬌のある生き方をするということです。
コミュ症の人は多かれ少なかれ人付き合いが苦手だったり空気が読めなかったりします。
算数の「1+1」の答えはいつでも「2」です。
でも人とのコミュニケーションは常に答えが同じということはありません。
コミュ症の人は根本的に人付き合いが苦手です。
その場で人間関係についての何かを学んでも、シチュエーションが変わると似たような間違いをする可能性があります。
だから間違わないようにすることは基本的には難易度が高すぎます。
間違わないにようにするより、間違っても周りが温かく指摘してくれたり楽しい笑いになったりするような人柄を身につけるほうが実用的です。
それが愛嬌がある、可愛く生きるということです。
「可愛く生きる」「愛嬌がある」というと男性の場合はちょっと抵抗があるかもしれません。では別の言い方をしましょう。
コミュ症の人はお笑いでいうところの「ツッコミ」ではなく「ボケ」として生きるのです。
コミュニケーションを上手くなりたいと思うと、ついつい進行上手なツッコミ役を想像してしまいがち。
けれどコミュ症の人が目指すコミュニケーションの形はツッコミよりもボケのほうが近道です。先ほど述べたように、間違わないようにすることより間違いを笑いに変える方が近道だからです。
コミュ症の人にとって大切なのは、何が自分をコミュ症にしているかということをできるだけ気づくことです。
気づくためには他者の力が必要です。そもそも自力で気づけるならコミュ症にはなりません。こういうときにどうしたらいか、どういう話をしたらいいか自力じゃわからないからコミュ症なのです。
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なんでも気を使わず話してもらえるように、なんでも話しやすい人柄でいることが大切です。
間違ったときは「それ変だよ」と冷たくではなく温かく教えてもらえる人間関係を作ることが大切です。
愛嬌のないコミュ症はきついです。
空気を読めないことを指摘しづらい「空気を読めない人」がいます。
空気を読めないことを指摘しやすい「空気を読めない人」がいます。
関連記事:相手に「話しやすい」と思ってもらうにはどうしたらいいか?
空気が読めないのに、それを周りが指摘してくれない状況はその人を孤独にする一方です。
いかに自分のコミュニケーションの下手さを周りからアドバイスしてもらえるか。それが重要です。
そのためには愛嬌があるボケ役で話しやすい人になる必要があります。
次回、「可愛く生きる」ための具体的な方法を考えていきます。
次回に続きます。