発達障害に関する知識と経験から、人とのコミュニケーションについて考えます。
人と共感できることが必ずしも幸せとは限らない
人とのコミュニケーションにおいて「共感」が大切であるとはよく言われることです。
しかしこれには向き不向きがあり、
共感力を高めコミュニケーション能力を高めることが、確実に個人の幸せに必ず結びつくかいえば、そうとは限らないと思っています。
人には共感力の個人差があって、
自分が許容できる共感力にとどめることが、人生の満足度を高める上で大切だと感じます。
共に感じるとは、諸刃の剣であるということ
他者と共感できるということは、コミュニケーションにおいて重要であると同時に、自分の心を揺さぶる諸刃の剣でもあります。
「共感」とは文字通り「共に感じる」ということです。
ただ相手のことを頭で理解するのではなく、相手の心を感じ、自分の心が揺さぶられるということです。
相手の気持ちがわかり、察することができる。
相手の喜びや楽しさを分かち合える。
これは共感の良い側面です。
しかし一方で、
相手の不安や悲しみを感じ自分もふさぎ込む。
相手の怒りや不満を感じ、自分も憤りを感じる。
このように、
共感力が上がると自分のことでもないのに悲しんだり怒りを感じたりする機会が増えます。
これはそれまで共感が薄かった人からしたら非常に大きな心の負担となります。
他者とプラスの感情を分かち合いたいつもりが、いつしかマイナスの感情ばかり感じてしまうことがあります。
人は往々にして、ポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが心を占めてしまうものです。
共感しない自分も許してあげる
共感するということは悪いことでは決してありません。
しかし無理に共感をしすぎると、相手の感情に自分の感情が飲み込まれてしまいます。
自分は自分と、どこかで切り分ける必要があります。
共感力を高めようとする人は、多くは「自分には共感力がない」と思っています。
他者と共感できるコミュニケーション能力を高めながら、どこかで「自分は自分」「ここは共感しなくていい」と、
「他者と共感しない自分」に許可を出せることも必要です。
おわりに
発達障害の当事者が共感力を高める治療を行うノンフィクション、「ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記」。
物語の中で共感力を高めた著者が、他者の不安やネガティブな感情を読み取り自身もふさぎ込んでしまうシーンは、非常に印象的かつ示唆に富んでいると思います。