ルールというのはその時その場で変わります。
ルールが常に絶対的であるかというとそうではありません。
もちろんルールは本来一貫しているべきです。
しかしそれでは円滑にまわらないことがでてきます。
自分の捉えているルールをある程度柔軟に変更できる力は身につけておくと便利です。
そもそもルールとはなんでしょう?
どのように定められているのでしょう?
融通が効かない人、ルールを守りすぎる人はルールを成文法だけと考えがちです。
成文法とは、文字によってはっきり明記されている法律のことです。
日本は成文法の国です。
ですのでルールが文字にされていることが当たり前で、そうでないルールなんてルールなのか?といった感じですね。
成文法の反対は不文法と言います。
不文法は文字によってはっきりとは明記されていないルールです。
先ほど述べた通り、日本は成文法の国ですが、イギリスやアメリカは不文法が強かったりします。
不文法とはどんなルールでしょう?
不文法の代表例は裁判の判決です。
裁判の判決事例から物事の良し悪しを考えていくパターンです。
例えば誰かがあなたの顔を写真に撮って、勝手にネット上に公開したとします。
あなたはいい気持ちがしませんね。
この場合、相手はあなたの「肖像権」を侵害したと考えられます。
日本には肖像権について明記した法律はありません。
しかし肖像権を侵害することは良くないと裁判ですでに判例が出ています。
よって先ほどの例で言うと、
肖像権という法律はなものの、裁判の事例からあなたは肖像権を主張できるわけです。
個人の権利や情報というものはある程度法律で守られています。
個人情報保護法などかこれに当たります。
一方で、成文法のルールだけでは日常生活に不足が出る場合があります。
例えばインターネットの急速な普及に法律の制定は追いついていません。
その中で先ほどの肖像権のような問題が出てきます。
そこで法律には明記されていないが、人の顔写真を勝手にネットでバンバン使うことは正しいか間違っているか裁判などで議論することになります。
ルールに書いてないからOKという単純な話ではありません。
関連した法律やその人の被害状況などいろいろなバランスをとって物事を決めます。
ルールに書かれていないことで物事を判断することは、感情的で論理的でないように思えます。
しかし本来、
ルールに書かれていないことを関連したルールやその場の状況から適切に判断するには論理的な思考が必要なのです。
成文法というのはわかりやすいですが、例外に対応しにくいものです。
不文法というのはわかりにくいですが、慣習や事例を参考にいろいろな局面に対応できます。
ルールの定め方を成文法だけにとらわれないというのは大切です。
ルールが文字で明記されていない状況で、慣習や文脈を想定して妥当な判断はどのようなものか。
今、自分の状況の中で不文法はなんなのかということを考えると、場の空気を読める手助けになったりします。
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