いじめはいけなこと。
困っている人がいたら助けてあげましょう。
私達は子供の頃、そのように教えられます。
いじめはいけないこと。
困っている人がいたら助けてあげましょう。
この2つの知識を足すと、
「いじめられている人がいたら助けてあげましょう」
になります。
いじめを見て見ぬふりする行為は悪いことと私達は教えられます。
しかし、
いじめを止めようとして自分がいじめられることがあります。
何もしなければいじめられないのに、
いじめを止めようと行動したが故にいじめられてしまうのです。
私達は、いじめを止めるべきでしょうか?
それとも見て見ぬふりすべきでしょうか?
いじめている人、いじめられている人、あなた。
3者の関係性にもよります。
3者の所属と立ち位置はどのようでしょう?
例えばこの3者がいずれもクラスメイトだったとします。
いじめている人もいじめられている人もあなたも同じ学校のクラスメイトという状況です。
次に3者の人間関係を考えます。
例えばあなたはいじめている人ともいじめられている人ともクラスは同じでもそこまで親密な関係ではないとします。
俗に言う「ただのクラスメイト」といった感じです。
このとき、あなたはいじめを止めるために行動すべきでしょうか?
いじめをやめさせようとする行為は良いことです。
しかしそれがいつも上手くいくとは限りません。
今回の例で行くと、
いじめに関わっている人から見るとあなたは「ただのクラスメイト」。
要するに、あなたは「関係のないことに首を突っ込んだ」ともとられるわけです。
「関係のないことに首を突っ込む」とは、
「関係のないことに関係があるような様子で物事に関わろうとする」ということです。
人は関係のないことに首を突っ込まれると腹が立ちます。
もちろん、あなたはクラスに所属しているのでクラスのいじめが関係ないことはありません。
しかし、いじめている人からしたら、あなたは関係のない人物に見えるのです。
何に関係があってないのかというのは、その人その人で認識が異なるのです。
今回の例でいくと、
いじめている人から見たら関係のないあなたが、
いじめに関して首を突っ込んだということになります。
いじめている側はあなたに対して腹が立つかもしれません。
そのいらだちが、いじめの矛先をあなたに向けるかもしれません。
正しい行為が必ず正しい結果を生むかというと、そうとも限らないのです。
いじめを肯定しないという姿勢は大切です。
だからいじめを見たら止めるという行動は大切です。
しかし、もっと優先順位が高いことがあります。
それは、
あなたが人をいじめないということと、
あなた自身がいじめられないようにするということです。
なぜでしょう?
あなたが人をいじめないというのは簡単ですね。
いじめで傷つく人がいるからです。
ではなぜあなた自身がいじめられないようにすることが大切なのでしょう?
ひとつはあなた自身が辛くなるから。
そしてもう一つが、
あなたを大切に思っている人は、あなたがいじめられてほしくないと思っているからです。
例えばあなたの親。
あなたの友達。
あなたのことを大切に思う人。
その人達は、あなたが大切なのです。
だからあなたが笑顔でいてほしいし、いじめられないでいてほしいのです。
正しい行為をするというのはとても大切なことです。
しかし時として、
あなた自身のことを優先してほしいと周りが願うときがあります。
「だからいじめは必ず見て見ぬふりしろ」と言っているのではありません。
あなたには、あなたが思う以上に、あなたのことを大切に思っている人がいるということを、立ち止まって考えることも必要だということです。
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